散歩道<1791>

                            面白い話(159)・面白い話・大集合(550)・1995のろま中元

かたえくぼ:消えた年金余話:こどもには読みやすい名前をつけました・・・・・・新米パパ・ママ(ヨーコ)

                         頭の弱かった野呂松人形「のろま」

 徳川四代将軍家綱の治世下、江戸に野呂松勘兵衛(のろまつかんべえ)という一風かわった人形遣いがいた。この男、江戸堺町の和泉太夫座で興行を打ったとき、青黒くて変な顔をした人形を使った。いかにも頭の弱そうなこの野呂松人形、勘兵衛の手によって、愚飩でまぬけな男を見事に演じ、、江戸町民の笑いを誘ったという。いつの世も、「のろま」役が人気を博すのは、見ているものが、自分はあれほどではないと安心するからだという節があるが、最近は、ほんとうの笑いをさそう役者が少なくなってしまったのはさびしいことだ。ちなみに野呂松人形、今も佐渡に残っている。樋口清之様

                             亡霊の供養に贈る「中元」

1995 季節感が薄らぎつつある昨今、「中元」というと、冬の"お歳暮”に対して、夏にする贈物、と思われている。もともと、この中元、端午(たんご)、重陽(ちょうよう)とおなじように季節の変わり目などに祝いを行う節日(せつじつ)の一つだが、それをシッテカシラズカ、デパートの「お中元商戦」に乗せられている姿を見て、今や”虚礼”とまで言われて憚(はばか)らない人もいるくらいだ。もっちも、この「中元」、亡霊に供養するという点では、かならずしも虚礼に縁がないとはいえない。中国は魏晋(ぎしん)のころより、正月十五日を上元、七月十五日を中元、十月十五日を下元として祝う習慣があり、中元は、半年間を無事に過ごしたことを祝い、盂蘭盆(うらぼん)の行事をし、亡霊に供養する日なのである樋口清之様