散歩道<1777>
音楽展望・吉田秀和・理のある演奏(3) (1)〜(4)続く
解釈尽くし奏法追究 新しく美しく蘇る曲
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しかし、重い荷物を背負って音楽を響かせている人もいる。先日聴いたブレンデル(1968ー2001年の自分の演奏を記録したものの中から自選したフイリップスのCD)。これはベートーベンの<デアベッリ変奏曲>に始まり、ソナタ101で閉じる環(わ)の中に、ショパン、メンデルスゾーン、ブゾーニらの曲がはさまる構成。聴いて思ったのは。この人もすごい重荷を背負って仕事をしているのだということ。昔、彼がブラームスの晩年の<間奏曲>などを弾くのを聴いて気がついたのだが、彼の演奏にはそれ以前の何世代にも及ぶピアニストたちが開拓し、積み上げてきた演奏史の跡が反映しているものがある。特にケンプ、フイッシャー・・もしかしたら、ブゾーニも、バックハウスも。
といって、それは模倣というものではない。ただ、先人たちが弾いた跡を克明に調べ、再評価、取捨選択しながら自分の解釈をつくっていって、自分の奏法で古典を弾くという道をゆく。それがかれのやり方であり、そこから古くて新しい知性と詩情の結びつきが生んたショパンやベートーベンが聞こえてくるのである。でも、私には、そこにある種の疲労感、深みはあるが苦い単調さとでもいった何かが聞こえてくるときがある。短くみても2世紀に及ぶヨーロッパ音楽の成し遂げたものを受け止めながら、新しい音を出すことの難しさ。私はかれの演奏に敬意を払いながら、「あなたは大変なことをしている。さぞ肩の荷の重いことでしょう」と声にならない声をかけないわけにはいかない。近年は演奏家の中でも眩しいほど才能にめぐまれた人で、新しい美意識の持ち主の中には、伝統のある曲を弾く場合、思い切って自分の主張を交えた演奏をする人が目につくようになった。それが随分変わった形で出てくる場合のあることは、シュータイヤーのフォルテピアノの演奏とかに見るとおりだし、様々のオペラの演出に見られる新機軸だって、それと並行する現象である。
'07.6.21.朝日新聞・評論家・吉田秀和氏
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