散歩道<1778>
音楽展望・吉田秀和・理のある演奏(4) (1)〜(4)続く
解釈尽くし奏法追究 新しく美しく蘇る曲
遠い国、違った暦史と環境の中で育って、百年、二百年も昔の作品を扱い、過去と違うものにならなかったら、その方が不思議だろうという考え方だって、当然あり得る。楽譜があって、それに忠実に弾いていればそれでよろしいと手放しで安心していられるとしたら、その人はよほど楽天的な人ではあるまいか。しかしまた、新しい人の発見の中に古いものの新しい蘇(よみがえり)りがあっても偶然とばかりはいえない。例えば、ラン・ランの弾くベートーベンの第4協奏曲。この豊かな才能と才気に恵まれた中国生まれの青年ピアニストは興味ある演奏をする。この協奏曲の場合でも、ことに第1
第3楽章の第2主題を提示する時など実にきれいな、そうして表情的なピアニシモを聞かせる。普通なら堂々たる威容を見せるこのベートーベンの名曲が、彼の敏感でよく走る指の下では、軽くたおやかに流れてゆく春の風みたいな優美な音楽と化してしまう。
○ ○
私にとって、こういう弾き方に接するのは、かってギーゼキングで味わって以来の経験である。彼の弾くベートーベンの第4協奏曲も軽くて明るくてさわやかだった。今触れた二つの第2主題、それから第1楽章の冒頭の主題とそれに続くオクターブの走句の切れのよさ!ブレンデルの場合と違い、ラン・ランがギーゼキングの例を知っての上で、こういうベートーベンを聴かせたとは想像しにくい。これは中国育ちの青年の感性が発見したベートーベンだったろう。それに、ギーゼキングのころも、彼のは「ベートーベンらしくない」といわれたようにラン・ランのこの演奏にも違和感を抱く人がいても不思議ではない。でもこの2人、遠く離れた地点、大きく違うバックグランドから出て、近代西洋音楽の中枢にある曲の解釈で期せずして相会した。ギーゼキングのしたことに理があり、ラン・ランで蘇ったのである。理のあるものは新しく美しい。
'07.6.21.朝日新聞・評論家・吉田秀和氏
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