散歩道<1768>

                  意見新言・安倍政権の「国」(3)・国家と国民は一体なのか         (1)〜(4)続く

 とはいえ、国家と国民は一体であるという国家観がどこまで妥当なものなのかについては議論の余地があるだろう。というのも、国家は社会のなかでも特殊な存在だからだ。なぜ特殊化といえば、それは国家だけが合法的に暴力をもちいる事が出来るからだ。
 たとえば逮捕というかたちで人々の身柄を強制的に拘束したり、戦争というかたちで武力行使したりすることが法的に認められているのは国家だけである。「国家権力」と言われるものはまさに、国家がこのように合法的に暴力を行使できる、というところから生じてくる。暴力の行使という点からいえば、国家と国民のあいだには明らかな非対称性があるのだ。
 かってマックス・ウエバーは「職業としての政治」のなかでこう述べた。政治にたずさわる人間に必要なのは、国家がしょせん武力の行使から切り離しえ得ない特殊な存在であるということを認識し、そうした特殊性から生じる一切の結果を引きうけようとする態度である、と。
 この点からいうと、国家と国民の一体性を自明視する安倍政権の国家観はあまりナイーブだウエバーの指摘は右派にも左派にもあてはまる。つまり、右派だから安倍政権のような国家観から出発していいということにはならない。しかし現実には、その国家観のもとで憲法改正への準備が進められている。
 

'07.6.9.朝日新聞・津田塾大准教授・萱野稔人(としひと)

'07.6.21.NHKクローズドアップ現代で沖縄戦と教科書修正の話が報道されていた。今まで(62年間)発言してこなかった住民から、言いたくても余り辛くて言えなかった真実を発言がなされようとしている。