散歩道<1749>

                                夕陽妄語(3)・四月バカ                 (1)〜(4)続く   

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 能力一般において遇人は常人の下に居るとされ、狂人は必ずしも下ではなく、上でもなく能力の種類に応じて優劣をことにする、北斎の画号は30前後あるが、その一つに「画狂人」という、これは禅にかかわらない。一休宗純は号して「狂雲」といった。この方は明らかに禅僧の自己主張である。一方、その画境が常人の世界とは異なることを言い、他方は大寺院の束縛を離れての貧しい放浪生活には身体的・精神的な至福の別天地があることを強調する。彼らは自分自身の世界を創ってそこに住んだ。常人の世界での宰相や豪商になることによってではなく、遇人や狂人になることによって。それは決して東北アジアの文化に固有の条件を前提にしない。現にシエクスピアはそのほとんどすべてを知っていた。四月馬鹿の風習が始まったのは、フランスでシャルル九世が現在の太陽暦を導入して以来のことらしいが(1564年)、4月1日にだまされる方が馬鹿である。しかし英語のFoolには中世の宮廷道化師という意味もあってシエクスピアによれば、この方は単なる愚者ではなく、実は賢者であることが多かった。すなわち愚賢の逆転である。ハムレットは墓堀り(=道化)の場で、最も聡明に語り、荒野のリヤ王は権力を失い、唯一の話相手・道化を媒介として智慧を得る。オフェリアは絶望して狂い、自決するが、ハムレットは戦術的に佯狂(ようきょう)を演じる。佯狂とは、狂人と常人の世界の間の往復であり、二つの価値体系の使い分けである。

'07.4.21.朝日新聞・評論家・加藤周一氏

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