散歩道<1677>
異見新語・格差問題(2)・制度的不平等の是正 (1)〜(3)続く
個々の努力超越 しかし、個人の努力ではどうにもならない不平等は、自然だけが生み出すわけではない。例えば、教育コストの自己負担割合がたかく、そのため親の経済力が子供の受けられる教育の質と量を大きく左右するような制度の下では、明らかに裕福な家庭の子供が有利であり、学力の高低を子供個人の努力だけに帰すことはできない。
また、病気の多くは、そもそも個人の責任に帰せない部分が大きいが、さらにそこに、充実した医療サービスを受けられる地域とそうでない地域という格差が重なれば、病気から回復できるかどうか、それによって命を落とすかどうかは、ますます個人の努力の問題ではなくなってくる。さらに雇用希望者の数を100として、労働市場全体が用意するその枠が80しかないとする、競争に勝ってその枠に入れるかどうかは、確かに個人の努力にかかっているが、他方で、あぶれる人が20出ることは最初から決められており、完全雇用が予め(あらかじ)断念されている構造そのものは、この20の人たち個人の努力を超えたものである。ルソーが言った、「社会的」な契約は、自然が生み出す不平等のみならず、それと同じように個人の力ではなんともしがたい、このような制度的不平等の是正を求めるものだと私は思う。
'07.4.28.朝日新聞・東京大准教授・市野川 容孝氏
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