散歩道<1651>   

                時流持論(1)・筋目の日本外交に4提言
                  (1)〜(4)続く

 1974年の今日1月15日、わたしは27歳の誕生日をインドネシアのジャカルタで迎えていた。その日。田中矩形首相のジャカルタ訪問を機に、激しい半日暴動が起こる。首相一行は私達大使館員とともに3日三晩迎賓館に閉じ込められることになった。日本企業が標的になり、日本車は焼かれた。この暴動は、日本企業進出への反感であるとか、スハルト政権内部の親日派と親米派の権力闘争が原因であるとか、いろいろな説が流れた。いずれにせよ、日本が大きな存在として国際場裏に再登場してきたことだけは明らかであった。その後の時代、日本は総じて平和と繁栄を享受し続けることが出来た。危機がなかったわけではない。80年代、多額の貿易黒字を持つ日本が「アンフェア」だと糾弾された時期、91年、第一次湾岸戦争で「金は出すが汗は流さない」と批判を受け、日米関係の危機が叫ばれた時期、94年の北朝鮮核問題を起因に朝鮮半島に戦争の危険が迫った時、幸いにして、その都度、機器は回避された。「安全保障を依存する米国との関係を損なうわけにはいかない」として、日本市場の開放や人的な国際貢献、危機管理体制の整備が進んでいった。

’07.1.15.朝日新聞・日本国際交流センターシニアフェロー・田中 均

関連記事:散歩道<925>私の視点・消えゆく日本(1)〜(2)