散歩道<1633>
鶴見俊輔さんと語る(3)・心に届かぬ言葉横行 対談相手・詩人アーサー・ビナードさん
(1)〜(4)続く
言霊の幸(さき)はふ国、と万葉集にうたわれたが、言葉にやどる霊力はもはやどこかにいってしまったようだ。心に届かない言葉が
はびこるなか、鶴見さんは在日16年の米国詩人、アーサー・ビナードさんと日本語の変化や社会とのかかわりを話し合った。
「考える日本語」の散文選を作るのが僕の理想。(鶴見)
鶴見 日本の近代に官僚に毒されなかった散文の系列がある。それを掘り起こしたい。そのトップに、岸田吟香(新聞記者・実業家、1933-1905)を置く。風呂屋の三助(客の体を洗ったり風呂をたいたりする男)をしながら、表向きの言葉でなく、客のあけっぴろげな話を聞いて受け答えした。それが原型なんだ。四角四面とは対極にある文章だ。進化論を広めた丘浅次郎(動物学者、1868-1944)は大学予備門では作文がいつも落第点。かれにも武士の一分があってね、のちにドイツ留学をへて書いた「進化論講話」は、ヨーロッパの翻訳とは違う、考える散文として、すごい文章だ。日本にいなかったのがよかったのかもしれない。
ビナード 日本に進化論を最初に紹介したのは大森貝塚の発見者モース(米国人動物学者)ですが、かれの文章も面白い。子供のころから貝が好きで、どこか野生をたもったまま研究を重ねた。その観察眼が実に開放的です。
鶴見 そういう系譜を梅棹忠夫(民俗学者)が継いでるね。梅棹は明治のサムライ言葉にも大学言葉にも毒されず、日本語本来の筋を発見した。彼はフイールドノートをローマ字でとったから、難解な用語は使わない。そういう文章を中学、高校から学べば、日本のインテリはもっとましなものが書ける。僕は日本では小学校しか出ていないから、京大助教授になった時、日本語が書けずに困った。教授の桑原武夫は親切な人でね、作家の志賀直哉に相談してくれた。「名文を暗記して型にはめてはならない。日本語と英悟の間のドブに落ちて、もがけば自分の文体ができる」と志賀が助言したというんだ。
'07.1.30.朝日新聞・鶴見俊輔さんと語る・詩人アーサー・ビナードさん
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