散歩道,  11582b      <5022>             

                       講演会・私の江戸時代(1) ・・・ (八代将軍吉宗さん)            (1)〜(2)続く       私流に講演会を纏めてみた。

 この講演の内容で興味あるのは、もし、徳川吉宗が平々凡々の大名であったら、日本の近代化は江戸時代から明治時代へ、あのようにスムーズには進まなかっただろと考えられるという。

 では、徳川吉宗(1684-1751)は、何に興味を持っていたのか、又、そのことは、どれ程大きく社会に影響を及ぼしたのであろうか?。
1、 彼は高麗人参の日本での栽培に心血をそそいだ。当時
(高麗)人参は輸入品で、万能薬の薬として使われていた。朝鮮では王様への貢ぎものであった。大変高額で、現在の金額に換算すると、1月使って100万円ぐらい、それを国内で栽培できないかと考え、何度も挑戦し続けて、25年間かけて、栽培に成功したのである。全国の諸国大名に命じて、各藩の中で、薬草として使われているものの成育方法や、小動物の大調査を行った。そこでまとめられ提出された博物資料は、膨大なものであったそうだ。その中で、全国的な規模で栽培化(出来ないかと)し、産業化できないかと考えたのである。

2、彼は、野草や、魚に大変興味を持っていた。そこに描かれていた絵は、真実に迫るもので、今も博物館に残っている。一方、多くの外国の野草にも、このようなもの
(薬効があるもの)があるはずだと関心を持った(当時、長崎のオランダ商館から、書物(植物図鑑等)は輸入されていた)。そこで描かれた詳細な絵を観て驚いたという。又、その横に書かれた解説していると思われる言葉(ポルトガル語か、オランダ語等)を、こんなに詳細な絵を描くほどだから、この言葉は信じられるものに違いないと考えた。が、全く理解することは出来なかった。
 その解読のため、当時わが国と海外の唯一の商館があった長崎へ、青木昆陽
(1698-1769)等を送って翻訳させたり、1年ごとにオランダ人が(年度の実績と来年の計画を)、江戸幕府に参上する機会を捉えて、翻訳の勉強をさせた。(その記録今も残っている)。青木昆陽は、オランダ語の学習と、海外知識の移入に務め、又、甘薯の栽培もすすめた。(和蘭オランダ文字略考)、(蕃薯考ばんしこう
 又、吉宗は、毎日、雨量観測をやっていたそうだ。1742年の大水害を予測し、その時
(水害時)に使う救命用ボート(捕鯨用のものを改良したもの)も作っていたと言われる。2012年11月23日

'12.11.1.日文研・一般講演会
日文研教授・司会・教授・井上章一氏、発表者・教授・笠谷和比古氏、
         

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