散歩道<1581>
思潮21・テレビ番組と「社交仲間」(4) (1)〜(4)続く
報道と娯楽の混在 非政治化する政治
理由の一端は、作家でもある都知事の「カリスマ」にも関わっている。カリスマとは凡庸や日常性を超えた人間的特質にほかならない。現実に備わっている場合もあれば、自分や「社交仲間」がもてはやすカリスマもある。カリスマは政治だけでなく芸術や宗教の分野でも作用した。一般的にはカリスマは、人々の関心を反中央・反官僚の動機づけに集中させ、個別の具体的高度の評価からそらせてきた。一部テレビは、絵になり視聴率をとれるカリスマの心情や衝動を観衆に伝えるためなら媚(こ)びもする。しかしカリスマの「霊気」と幻想は、コミュニテイーによる宣伝と相まって、人びとに独特な政治劇場への参加を共有させても、現実にその期待に応えられないときには消えうせる。現代の日本社会ではカリスマも新たな秩序を創造する感情の独裁者になることはできないからだ。
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カリスマ的指導者に期待した一部国民の離反は、特権や不平等への妬(ねた)みにもからんでいる。妬みとは無力の苦々しさの発露であり、すぐに道徳的非難へ転じやすいというブエーヌの指摘は正しい。また、テレビを通したカリスマや「有名人」*1への共感をもって、政治に無関心だった者でも政治化したと考えるのは正確ではない。むしろ、報道と情報・娯楽の混在と引き換えで獲得する意識は「政治の芸能化」という名の非政治化にほかならないのだ。「政治は芸人なんか取り込んだらいけないし、ホントは国民も芸人を政治家に選んじゃいけないんだよ」というビートたけし氏の「毒談」もなかなか味わい深いものがある。
07.3.1.朝日新聞・東京大学教授・山内 昌之氏
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