散歩道<158>
韓国の歴史認識(ソウル)(2) (1)〜(2)続く
後ろは焼失する前の南大門です。この石垣には銃弾の跡が何発も残っていた('94.4.29)
1、次の日ソウルに行きました。市内の景福宮の国立中央博物館(この建物は勤政殿と光化門の間に建てられている)は、日本統治下で建てられた朝鮮総督府で、韓国の人にとっては目の上のたんこぶという説明を受けました。近々取り潰すという話でした。(02.11.8.の朝日新聞では05.年に別のところへ移転するようだ)
2、当日のTVは日本の憲兵が韓国人の妹を自殺に追いやる、それに激怒した僧侶であった兄貴が抗日戦争に立ち上がる英雄物語であった。TV番組はNHKの1時間遅れの歌謡番組で"坂本冬実"が歌っていた。
3、山の向こうは北朝鮮で、軍事境界線がそこを通っているということで、ホテルでも山の向こうを向いて写真をとることは注意を受けました。特に南大門(上記写真)には、南北朝鮮戦争当時の弾痕の跡がそのまま残っている状態は、日本では考えられない、随分緊張感がある都会だと肌で感じました。ソウルの主要道路は片道8車線になっており(両側では16車線に成る)道路の向こう側には連隊があり、緊急時にはいつでも飛行機の発着ができるということである。国内を纏(まと)めるという意味では、敵国を想定するということは今の韓国には必要なことかもなのだと、この国に来て思いました。
備考:'08.2.南大門が放火により焼失しました。何とももったいないことだと残念です。さぞ、韓国の皆さんは残念がっているでしょう。
4、当日には学生を中心に街路を整然とデモが繰り広げられていた。昭和35〜6年当時の日本の学生運動のエネルギー(今は日本では感じることが出来ない)のようなものをここでは感じた。
'04の韓流現象を契機に、日韓両国は仲良くやっていくべきだと思います。