散歩道<1575>
鶴見俊輔さんと語る・生き死に学びほぐす(4)・・・ 対談相手医師・徳永進さん (1)〜(5)続く
現場は矛盾多い。マニュアルにないことが大事(徳永)
鶴見 はみ出すことがかっては許容された。ベトナム戦争のとき私は、日本で脱走した米兵士をかくまい、海外に送り出す活動の京都方面の中心だった。でも、近所の人たちから密告されたことは一度もなかった。党派に関係なくね。一種の共同体が出来ていた。それが理想だ。でも同じことは今後期待出来ない。将来、多数の難民が日本にやってきて、暮らすことがありえる。難民との付け合いが生じれば、それがある種の教育になって、日本を変えていくと思う。マニュアルでなんてやっていけない。
徳永 私が医者になったころ、自宅で亡くなる人と病院で亡くなる人は半々。今、自宅で亡くなる人は1割程度。自宅か病院かではなく、両方を行き来できる死があっていい。できれば、いざというとき食事できる「国民食堂」も開き、お年寄りが一人で暮らせるまちにして、治療共同体を作りたい。「その他」は今、はみだしていく者が作り出すしかないでしょう。
「天国にしっと心はないんだ」と埴谷は言った(鶴見)
徳永 アメリカのエイズ病棟で、交代で看病していた友人の一人が病院に戻ってきた患者がなうなったのを聞き「ビユチフル」ピースフル」といったと言う話を読んだことがある。ある意味で死を肯定する言葉がもっとあればいいのにと思う。詩人の草野心平は「死んだら死んだで生きていくのだ」という詩に歌いました。
鶴見 作家の埴谷雄高を晩年に訪れた人が「先生死んだら武田百合子さんにあえますね」といった。百合子さんは作家の武田泰淳の妻で、埴谷は好きなんだ。泰淳さんがやきもちを焼くかもしれないですねとからかわれて、埴谷は「天国には嫉妬心はないんだ」といったそうだ。私が小額1年からの友達である永井道雄(今日言う学者、元文相)と最後なったとき。「君は子供のころ、いくつまで生きると思った?」と私が言ったら。「まあ、60ぐらいかな」といった。じゃ、目的は達したじゃないか」というと、永井は「そうだな」。こんな会話を交わした。古い友達やおやじ、お袋は死んだという感覚がない。いつもその辺に存在する感覚がづっと残っている。
'06.12.27朝日新聞・鶴見俊輔さん医師・徳永進さん
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