散歩道<1573>

                  鶴見俊輔さんと語る・生き死に学びほぐす(2)・・・    対談相手医師・徳永進さん       (1)〜(5)続く

 鶴見 カトリックは共有、聖餐式(せいさんしき)を指す。「コミュニオン」という言葉を大切にする。最後の晩餐でキリストはパンとブドウ酒を弟子に分け、しぐさで意思を伝えた。これが教会のミサの形になった。花を持った釈迦の意図を汲みっ取った一人の弟子がほほ笑んだという「粘華微笑」(ねんげみしょう)と同じで、最後は言葉を超えるんだ。コミュニケーションの前にコミュニオンがある。
 徳永 野の花診療所では死を前にした患者さんに何かしたいことを尋ねて、実現するようお手伝いをしています。「たんぼの土を踏みたい」「焼肉を食べたい」「空を見たい」「道を歩きたい」・・・。生きているときは、日常の暮らしより理想や主義主張、仕事、金儲けが大事だが、死を前にすると価値が逆転する。ありふれた日常の暮らしが生命の根本とわかる。今の社会は主義主張の方が肥大化しすぎているから、修正する必要がありますね。
 鶴見 日常の暮らしというのはそれだけ、すごいんだ。
 徳永
 ベルトコンベアにのった人生はつまらない、と死ぬときに解る。それでは遅いんだけどね。ところが、例えば好きな山登りをやったという人は「死の野郎がもうちょっと遅くきたらいいのに。でも山登りは一杯したし、しょうがないかな」と、どこかで手を打つ。死と取引できたりする。だが、ベルトコンベアー人生では取引できるものがないので、死んではならない、死は悪で、遠くにおくもの、となる。鴨長明や西行の無常観がもう少し、のこっていればいいのに。病気の早期発見や新しい治療法はありがたいが、「あきらめる力」が減っているように思う。しょせん、死はくるよなあと思うのは多忙な医者の傲慢ですかね。


'06.12.27朝日新聞・鶴見俊輔さん医師・徳永進さん  

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