散歩道<1571>

                       魯山人の宇宙展日本の食文化の確立

 その人柄は同時代の画家や、陶芸家、収集家や評論家からの話等からその大きさがわかるというものだ。陶器、絵画、習字、家の間取りなど、すべて料理に優雅さを加えるものであり、日本の食文化の確立、それを統合したのが魯山人だとおもう。料理には、全体の配置、背景、色彩など総合的な状況を判断できるのは、いろんな分野でも優れた才能を持ったこのような人魯山人にこそ出来るものであろう。料理にあった陶器も自分で作られた技術の素晴らしさ、陶器にかかれた字や、絵画一つにしても色から、全体の構成など、ピカソの絵ですら、不満足であることが面白い。年齢に関係なく衰えない作品に燃やされ続けた情熱の大きさは何だったのだろうか。又、言葉だけの批評家に対して本当の作品とは何かを鋭い意見で反発されているのも面白い。日本料理には、外国と比較しても、その心つかいの細やかさには見るべきものがある。ある特定な陶器だけを表彰する、賞など貰らおうとしなかったスケールの大きさなど、このような大人物が我々と同じ時代に生きておられたことに感謝したい。

特に魯山人の語録には、僕ら日本人に自信を与えてくれるものだ、面白い3つを紹介する。
1、西洋人や中国人が十のものをもって表現するところを日本人は一で表現する。その思い切った省略の中に無限の美を味わおうとするのだ。
2、日本は芸術家が育たない国だ。いや芸術家が育たぬ国というより、そんなものを育てることを好まぬ国だ。権力を持ったら、すぐ威張る。これはいいなと思ったら、すぐ真似したがる。国民が全部で歌える歌は、君が代と炭坑節ぐらいのものだ。しかも、それさえ調子はずれの音痴ときている。
3、途方もない考えがなくては、途方もない結果はない。


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備考:外国で食事をしてその大雑把な料理に、日本の料理の細やかさを再認識されている人は、多いのではないかと思う、外国で、料理に合った陶器が出て来ることはあまりなかったように思う。