散歩道<157>
韓国の歴史認識(慶州) (1) (1)〜(2)続く
仏国寺の釣鐘の前にて観光客と一緒に撮影
1、平成6年('94)4月29日に韓国の慶州、ソウルを旅行した時、日本と韓国との歴史認識の違いを経験することになった。(当日の新聞は、北朝鮮の高官が、ソウルを火の海にするという恐ろしい記述が新聞で報じられておりました)慶州・仏国寺での事です。('05.5月のNHK・子供の週間こどもニュース番組でワールド・サッカー前に釜山への取材でも当時と殆ど代わっていない同じ様な報道がなされていた)。仏国寺の城壁の跡には焼けただれた石垣が今も残っています。これは豊臣秀吉が(日本では朝鮮征伐と言っている・韓国ではこの戦争を壬辰の乱と称している)この国へ侵略した時、建物が焼失した時に出来た焼きただれた石垣の跡だそうです。私は幼稚園児や小学2〜3年生の生徒がグループで、先生の説明を受けていたのを見ていました。内容については、その日案内してくれた韓国のガイドの説明によって解かりました。
2、私は次の日、同じガイドに言いました。韓国の先生が生徒に、昨日された日本の紹介は一方的過ぎると(一方的に日本に侵略されたと、小さな何もわからない子供に日本を悪く言うことはよくないと)、確かに戦争では迷惑をかけたが、今の日本でこのようなことを考えている人等いない(皆、仲良く成りたいと思っている)。その証拠に、私は今日普通(一般)の日本人としてこの釜山に旅行に来ている。確かに400年前は当時の権力者により武士が、又、第2次大戦時は日本軍からの(赤紙・強制命令による)徴兵により一般市民も含んだ日本軍が韓国を侵略したことは事実と思うが、国民は無理やりこの戦争に狩り出されたもので自分から進んでこの国に(攻めるために)きた人等、私の知っている範囲には誰もいない、このように理解して欲しいと日本の今の姿を話しました。
3、約400年前、当時の津藩主・藤堂高虎がこの国から日本に帰国する時、数十体(明らかに異国のものと思われる)の仏像を持つて帰った。その仏像は今も三重県津市の長谷寺に安置されてあり、地元の人が当時から盆や暮には欠かせず必ずお参りしているという話しを聞いている(この話しは現地(津市)の人から聞いた話しである)。私は日本に帰ってガイドにこの文章のコピーを送った。
関連記事:<4907>講演会・東アジア近代史における「記憶と記念」
作品