散歩道<1527> 

               講演会・舟木本・「洛中・洛外図」に見る400年前の京都(2)              (1)〜(2)続く
     
                     その絵師は何を見つめ、何を描きとめたか

 また祇園界隈の賑わいや、遊郭に集まる人たち「風俗画」、南の郊外には田畑や河川が描かれ、農民の耕作や漁師の動きが描かれている。当時外国から日本の長崎に上陸した宣教師や南蛮人の一行は江戸に行くのに、必ず京都を通ったので、沿道には多くの見物客がこの行列に大変な関心を示し、排斥するようなことなく人物、服装、持ち物等に京都衆も興味新進であったようである。屏風や扇子に描かれた絵柄や着物柄などは、中国の故事や歴史物語や日記等が描かれていたため、それを理解するための教養が必要であった、その知識を得るため何軒かの本屋は多くの庶民でにぎわったといわれる。公家や武士だけでなく、町民がそれを買おうとしたようである。また絵が民家にも飾られそれを楽しんだそうだ、江戸後期、中国から入ってきた「文人画」も歴史や、故事の教養を必要としたようである。当時このような光景は、世界を見渡しても考えられないそうだ。御所を中心とする平安時代から続く公家社会、そこでの生活が土佐派の絵師により、又、二条城では鎌倉時代から続く、武家社会が狩野派の絵師たちにより描かれている。この洛外図の二条城の中に、かまどが描かれ、煮たり、炊いたり、又魚を料理したりしている姿も描かれている。これらの絵が意味すうところはさまざまな文化的価値が上下の階層間で交換される社会であり、特異な文化的価値を生み出した江戸文化の萌芽を示していると早川先生は発表されている。

講演会講演会・舟木本・「洛中・洛外図」に見る400年前の京都・
国際日本文化センター・教授・早川聞多氏

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