散歩道<1509>

                    教育改革の前に・学校・教師信じてみよう(1)          (1)〜(3)続く

 今の社会には、学校や教師への不信感が渦巻いている。短慮な教育改革が性急に進められている背景には、そういう世間の不信感に基づく改革は、決して教育をよりよいものにはしない。学校や教師への不信感を煽り立てる情報がメディアで大量に流れるようになったのは、落ちこぼれや管理教育が注目を浴びた1970年代のことだった。メディアにとっては新ジャンルの「社会ネタ」だった。その後、「ネタ」は次々と変化してきた構内暴力が沈静化したら、次はいじめや体罰がクローズアップされ、1通りの報道・論評され尽くすと、次は校則問題へ、といった具合である。確かに、メディア報道を契機に事態が改善した部分はあった。体罰は随分減ったし、理不尽な校則の多くは姿を消した。だが、そうした,学校や教師を非難する情報の氾濫が、二つの困った事態を生んでいる。

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 一つには、少数の事件や事例がセンセーショナルに取り上げられる事で、大半の学校がそれなりにうまくやっていることや、ほとんどの教師が真面目で職務意識にあふれていることなどが、世間には人々の目に見えなくなっている、ということである。大半の教師は、熱心で誠実である。きちっと学力がつく丁寧な指導に力をいれ、子供が抱える問題とこまめにつき合おうとしている。ところがそれらは、「よいエピソード」としてここの生徒が個人的に体験するだけで、地域で話題になることもないし、メディアで取り上げることもない。
 

'07.1.25.朝日新聞・日本大学教授・広田照幸氏