散歩道<1488>a
経済気象台(122)・不満と怒りを具体的に
社員の年収が減り、期間社員やフリータ、或は「作業の下請け」が増大するのは個々の企業の経済合理性の結果である。至上競争はどの企業に対しても同一の行動選択を強いる。しかし安定した収入がなく、職業上の能力も身につかない若者の増大は、社会の質の劣化を招くといわれる。社会の質の劣化は巨視的に見ると、企業行動にマイナスに働くのはいうまでもない。個々の企業の合理的行動の総和が不合理をもたらす「合成の誤謬(ごびょう)」の一種なのである。企業は自社利益の最大化を追求するものであり、コストとしての人件費の最小化を図るのは当然だ。社員への教育投資も、コストパーフォーマンスを最優先させる。結局の所、より教育効果の高そうな人間から順に採用せざるを得ない。社会の質の劣化を考慮して、だれでも正社員化するというわけにはいかないだろう。たちどころに企業間競争に敗北する。では社会を構成する要因の質の維持や向上を誰が考慮すればよいのか。学校教育だろうか、それとも行政か。あるいは家庭か。そうではあるまい。フリーターや無業者の増大はいくつもの原因が複合しており、その増大の「犯人」を特定することは出来ないだろう。では「解」はないのだろうか。社会責任投資の考え方はどうだろう。企業にのみ負担を求めるのは酷だが、ビジネスを進めるうえで、積極的な社会貢献や、労働法順守、などを細かく採点し、投資に的確かどうか、社会的に優れているかどうかの評価をして、努力を求める。的確性を評価するのはやはりNPOか。それにしても市場経済の発展は、全員が満足することはないことが根拠となっている。個人の不満と欲求こそがエネルギーの源だ。「質の悪い雇用条件」の増大は、どのような「変化」の源になるのだろう。社会の質を討論する上でも、当事者たちの不安と怒りがもっと具体的になるとよいのだが。