散歩道<1444>
                     面白い文章(38)・面白い話・大集合(523)・1943玉かはた瓦か

かたえくぼ:携帯電話:これほど不便なものはない・・・・・・・・・恐妻家(南港かもめ)

                       中江兆民(兆民先生)「玉かはた瓦か」

 東洋のルソーといわれた中江兆民は大変な毒舌家でもある。明治22年(1889)に帝国憲法が発布されたとき、国をあげての大騒ぎを横目に見て、読んでもみないうちに狂喜している国民を鋭く批判した。「玉かはた瓦か。いまだその実を見るにおよばずして、まずその名に酔う。わが国民の愚かにして狂なる、なんぞかくのごとくなるや」兆民自身は、憲法の全文を読んで「ただ苦笑するのみ」だった。上から与えられたものであって、国民が奪い取ったものでないからである。有名な兆民の著作『三酔人経綸問答』でも、次のように言っている。『君主も人間、われも人間でありながら、自分の権利によって生きることができず、人のおかげではじめて生きるというのは、実に恥ずかしいことではないでしょうか」それでも、兆民は自由党の再建と憲法の改正を闘いとるべく、第一回衆議院議員選挙に出て当選するにはしたが、政府の奴隷になりさがった議会に絶望し、風変わりな辞表を叩きつけて、飄然と野に去った。次のような辞表であった。
「小生近日亜爾格児
(アルコール)中毒病相発シ行歩艱難何分採決ノ数ニ列シ難ク辞職仕候」左方郁子様

                      馬の鼻先でした別れの合図「はなむけ」

1943 万事手軽でスピーディになった現代の旅と違い、昔の旅は、様々な点で危険も多く、しかも一度分かれると、その消息は今ほど容易にはわからなかった。だから、旅立ちともなると、送るほうも、送られる方も、切実な別れの感情を抱いたようだ。たとえば、馬を連れて旅立つとき、送る人は途中まで見送っていく。どこまで行っても別れはつきないから、いよいよ出発というとき、送る人は馬の鼻先を、旅人がこれからむかう方向にむけてやる。「さあ道中無事で」という思いをその行為にこめたわけである。この「はなむけ」、後にはお餞別の意味にもなったが、一部の現代人のようにお土産という代償を期待する行為ではなかったようである樋口清之様  
                        
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