散歩道<1432>
              面白い文章(13)面白い話(144)面白い話・大集合(522)・1941渋沢栄一「右手に算盤、左手に論語」・「(かも)す」

かたえくぼ:自殺原因:「イジメ」ゼロ?  「けじめ」ゼロの間違いじゃないの!・・・・・国民    教育関係者どの(古典範)

                        渋沢栄一・「右手に算盤、左手に論語」

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940 渋沢栄一は幕末明治を生き抜いたユニークな実業家である。幕末は尊王攘夷運動に熱中するかと思えば、一橋家、幕府に仕えたり、維新以降は、大蔵省に出仕して井上馨を補佐し、多いに辣腕を発揮して名をあげた。退官後は、第一国立銀行など金融界に活躍、中国、朝鮮への経済進出も企てるなど、活動範囲は多彩をきわめた。渋沢が名を連ねた会社は5百を超えたというから凄い。その渋沢の経営戦略ともいうべきモットーが「右手に算盤、左手に論語」なのである。今日なら「コンピューター」とか「ハイテク」というところを、「算盤」というのも日本的で面白いが、「論語」というのははなはだ個性的である。「論語」はいわば東洋道徳の中核である。徳をあまねくしくことを理想とする教えである。渋沢は、心情的には自分の企業活動は徳を敷衍しているのだと考えたかったのであろう。彼は、多忙な経営活動の合間に、『注釈論語』を著している。「右手に算盤、左手に論語」はその序文の中の言葉である。今ではもう実情にあわないが、ある段階までの日本近代の資本主義的発展の特徴をうまく捉えた名文句である。

                     古代人は飯を噛んで酒を造った「醸(かも)す」

1941 酒を発酵させるための麹
(こうじ)が、中国から日本に入ってきたのは奈良時代といわれている。では、それ以前の酒の製法は?というと、『日本書紀』*1に、飯を口で噛んで唾液をまぜ、吐き出したものをある期間蓄えてつくったと記されている。この「噛む」から「醸す」という言葉も生まれたというが、手づくりならぬ口づくりのこの酒、今の清酒になるには、もう一つ偶然のきっかけがあった。酒造りの奉公人が親方にしかられた腹いせに、酒樽に灰を投げ込んだのが、澄んだ酒を造るもとになったというのだ。奉公人のこの行動自体はとかくの物議を醸したろうが、後世愛飲される清酒を醸した点は大いにたたえられていい。樋口清之様

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