散歩道<1418>

                    経済気象台(105)・問われる大学の存在価値

 大学の教育現場で若者を見ていると、10年先、20年先の日本は、一体どうなっていくのか、大変心配になってくる。読書きソロバンと言った基礎知識が不足し、英語、歴史などの基礎教養が身についていなくても入学できる。まさに全入時代を迎えている。私立大学でも、第三者機関による評価を受ける制度が始まり、その結果が一般に公表されるようになる。これは直ちに受験生確保に影響するとあって、現在各大学とも特徴ある教育を推進すべく、改革に取り組んでいる。ところで、改革にはつねに不協和音が伴うものである。とりわけ、閉鎖的な社会である大学では、改革のために、大学特有の課題を克服していく必要がある。その基本課題の第一は、教育組織と事務局組織の統制、融合化である。教育組織は教育・研究の論理であるのに対し、事務局は運営の論理である。平常時には両輪となって、うまく機能するが、改革時にはややもすると対立意識を生み、目的達成が難しくなってくる。よほど両者の情報交流を円滑にする努力が大切である。もう一点重要なことは、研究か教育か、という問題である。研究にはコストがかかるので、それよりも社会に出して恥ずかしくない学生教育に専念すべきだとの即効性を重視する考え方が強くなっている。だが、これはあまりにも目先にとらわれすぎではないか。大学はやはり知の殿堂であり、社会の変化、高度化に対応して研究を蓄積してこそ、大学の存在価値がある。その意味で、教育も研究も必要である。ただその際、教育・研究の諸成果をどのように大学組織の力としていくかである。研究室が個人商店の集まりであっては困る。成果を社会に問い掛ける仕組みを作り、利用分野を開拓する人材を学内で育てる必要があろう。いま進行中の日本経済の改革に、教育改革が伴って初めて、日本の将来がある。

'05.8.29.朝日新聞