散歩道<1415>
経済気象台 (102)・無意識の計画経済思想
計画経済は無残なまでに失敗したが、景気や政策運営に関する政府当局者の発言や行動をみていると日本に計画経済の思想がまだ息づいているようにも見えてならない。例1、日本の景気拡大は今月で「バブル景気」を上回り、秋まで拡大を続けると「いざなぎ景気」を越える。・・・といったことが議論される。こうした議論は内閣府の景気日付に関する判定が基準になっているが、政府は何のためにこの作業を行なうのだろうか。そもそも政府がそうした作業をおこなっている国があるのだろうか。例2、政府がデフレ脱却宣言をするとかしないとか言うのも妙な話である。デフレの定義は様々であり、一般の物価の下落を言う場合もあれば、資産価格の下落や景気の後退を言う場合もある。後ろから振り返ってみて、「あの頃にデフレを脱却していた」という評価は可能かもしれないが、リアルタイムで、「今、脱却した」と判定することはほとんど不可能であるし、意味があるとも思えない。今後もインフレ突入とか景気後退を写真判定のように宣言するのだろうか。例3、毎年政府から「改革と展望」と呼ばれる文書が公表されるが、ここに示された2%の名目成長率を達成すべきノルマのように議論していた閣僚らの言動を見ていると、計画経済健在の思いを強くする。このほかにも、為替相場や長期金利について行き過ぎを懸念する大臣の発言をはじめ、計画経済を想起させる例は枚挙に暇(いとま)がない。ひとつひとつは些細な例であるが、当局が経済をコントールできるという無意識の計画経済思想が流れているように思えてならない。日本にとっての悲喜劇は、そうした言動をとっている人たちが自らは自由主義経済を信奉していると思っていることである。統合後も経済が停滞している旧東ドイツ地域の例が示すように、世代の交代を待たなければならないのであろうか。
'06.5.24.朝日新聞