散歩道<1334>

                    保守とは何か・政治にはありえぬ立場(4)                           (1)〜(5)続く

              「開かれた保守」を強調し、「家族の価値観や地域の温かさが失われた」と嘆く安倍首相。「政治における保守」
                    「文化における保守」とは何か。文明や歴史を見つめる評論家・劇作家の山崎正和様に聞いた。 


・・・・・靖国問題を含む「歴史問題」と保守とは、どういう関係にあるのでしょう。
 首相の靖国神社参拝を擁護する人は保守で、批判する人は革新、というのは迷信だ。靖国は明治政府が、近代政府の生み出す負の面である。「国家の為の戦死者」を慰める為につくった。政治的イデオロギの産物であって、信仰ではない。現に、靖国には日本人が文化として愛する人が祭られていない。西郷隆盛、白虎隊、いずれも「賊軍」とされたからだ。保守=靖国擁護という見方では、本質はつかめない。靖国参拝を支持する「保守派」の一部は、「第2次大戦は日本にとって正しい戦争だった」と気勢を上げているが、先ほども言ったとおり、第2次大戦が正義の戦争だなどと言う主張は、きわめて革新的な意見だ。

・・・・・教育基本法を改正して愛国心を養おうとする政策は、保守的でしょうか。
 違う。いわゆるナショナリズムは、すべて革新の主張だ。歴史を見ても、慣習に従った長老支配が続く集団でナショナリズムを叫んだのは、旧体制を否定する青年たちだった。保守化ではない。また、伝統的には愛国心などというものではなく、みな「うちのムラ」が好きだっただけだ。後者は文化であり、保守にもなじむ。だが、「この国とはこういうものだ」と名を付け、理念的な使命感を与えて「こっちに進むことが愛国心だ」と言ったら、これはまさに進歩主義だ。しかも少し、きな臭い。伝統の継承もうたわれているが、空虚な言葉だ。今の日本にとって伝統とは何か。三味線よりべートベンに親しみを抱くのが実態だろう。「古いものには価値がある」という意味で伝統一般を愛するのはいいが、日本列島という地域で生まれた伝統に限って尊重しようというならば、それは愚かな発想だ。


'06.10.25.朝日新聞・評論家・劇作家・山崎 正和氏