散歩道<1314>

                世界の窓・権力を抑止する「徳」が必要(3)         (1)〜(3)続く

 タゴールや孫文やネールが今日存命であったなら、彼等がかって日本に向けて発した批判を、今や核保有国として軍備拡張に走る自らの国に対してこそ発しないであろうか。彼等がかって唱道したアジアの「精神」を今日体現している国はどこなのか。又そうした精神の今日的意味はなにか。それは日本から見れば一部の人々の言うように自然と人間の共生の精神であるかもしれず、あるいは人間関係における和の重視なのかもしれない。確かに地球温暖化問題がますます深刻になっている昨今、そして、水資源問題が心配されている今日、自然環境と人間活動の共生の精神はますます重要になっている。またテロや民族紛争がいっこうに鎮まらない世界で、和の精神はいくら強調しても強調しすぎることはない。しかし、深刻な社会問題や国内の亀裂に悩む今日の中国やインドにそうした価値の共有を訴えても、理屈はともかく現実には(少なくともここしばらくの間)有効ではなかろう。むしろ今、この時点でアジアの政治指導者が共有すべき精神とは、現代的意味での「徳」、すなわち権力の内的抑制のための倫理ではないか。西欧的民主主義という概念の影響で、権力を制度的に抑制しようとすることを強調する余り、指導者の「徳」、すなわち自己抑制の必要性に対する国民一般の意識が薄れ、政治指導者も真の謙虚さや「徳」を失いつつあるように見える。アジアに必要な精神とは、じつは、こうした内的抑制が権力者自らの内部に植え付けられるような思想なのではなかろうか。そして、それこそが制度的民主主義を補完するアジアの精神ではあるまいか。

'06.10.18.朝日新聞・国際交流基金理事長・小倉和夫氏

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