散歩道<1311>

                 時を読む・他者顧みぬ内向きの「美」(3)               (1)〜(3)続く

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 私が官庁のビルや表参道のファッション・ビルの窓際の光景に触れたのは、じつは「美感」に反するという理由からではない。福田のいう道徳的な問題、社会的な問題として取り上げたのである。というのも、そこには他者のまなざしへの想像力が決定的に欠けているからである。あの窓際の風景に映しだされているのは、自分の仕事、自分の顧客にしか配慮しない内向きの姿勢である。利害を共有しない他のひとびとにそれがどう映るかへの想像力の欠如である。そんな背中を他者たちにさらしているのである。そうした背中が、「靖国参拝」をはじめとする国際問題への対応にも現れているのではないだろうか。福田は書いた。「どんな立派な思想でも、衣服と同じように、それを身につける自分の姿勢を他人の眼に、美しく見せうるようになるまでは、本当に自分のものとはいえません」先日訪れたタイで、学生達が出会いがしらに別れ際に、ていねいに合掌する姿にふれた。ベトナムでは、電話の受話器を両手を添えてていねいに置く若者の姿にふれた。そういえば、明治の初め日本を訪れた西洋の賓客は、他者への礼儀が浸透しているこのような「優美な」社会にわれわれがつけ加えるものは何もないと感服したという。他者の立場になれるということ、これをおいて道徳の基本はないと思う。


'06.10.16.朝日新聞・大阪大学副学長・鷲田清一氏

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