散歩道<1205>
                    面白い話(131)・面白い話・大集合(499)・1902 (せき)の山左前

かたえくぼ:暑気払い肝試し会:今回は米産牛のフルコースで行ないます・・・・・・・・・・・主催者(ソラマメ)

                     れ以上の豪華さはない関の山祭り「関(せき)の山」

1901 三重県北部の町・関
(せき)は、江戸時代、東海道の宿場町としておおいに栄えた。宿屋が五十五軒、女郎屋が三十五軒あったというから、その盛況ぶりも想像できるというものだ。とくに、年に一度の神社の祭礼には、関の町の人々が"精いっぱい”の贅(ぜい)をこらしてつくったヤマ(山車)(だし)を見ようと近郷近在から人々が押し寄せたという。ここから「関の山」という言葉が生まれたわけだが、十辺舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛』にもこの言葉があるところをみると、関町の山車はよほど豪華だったのだろう。ちなみに、この「関の山」現在でも四台あり、毎年七月十五,十六日に行なわれる祭礼には、町内をねっている。樋口清之様

                          死者の装束「左前」

1902 最近は、若い女性のあいだにも和服がブームをよんでいるそうだ。婦人雑誌などに、”和服の着方”などといった記事が特集される所を見ると、ちかごろの女性は、洋服ほどには上手に着こなせないらしい。いうまでもなく、和服は女性の洋服と違って、「左前」に着ることは厳禁されている。右の袵(おくみ)を左の袵(おくみ)に重ねて切る左前は、奈良時代から”死者の装束”という慣習があったからで、ここから、今までは経営の上手くいかない会社の例えなどに使われている。会社が左前になったら、倒産も近いというわけで、不況下の今日、経営雑誌では盛んに会社の倒産記事が取り上げられている。いずれにしても「左前」、あまり縁起のいい言葉ではない。樋口清之様