散歩道<1197>
風考計・放火への沈黙・「テロとの戦い」はどうした・(2)
(1)〜(3)続く
事件の翌日、衆議院議長の河野洋平氏が東京の加藤事務所に電話を入れて、見舞いの言葉を贈った。決して仲の良い間柄ではないが、靖国や中国への考え方はきわめて近い。15日の全国戦没者追悼式で河野氏はこんな「追悼の辞」を語った。「新生日本の『目覚め』を信じ、そのさきがけとなることを願って犠牲を受け入れた若い有為な人材たちに思いをはせるとき、戦争を主導した当時の指導者達の責任をあいまいにしてはならないと思います」。特攻隊として散った若者に涙する小泉首相に対して、「それを命じた者を許していいのか」と放った矢先である。もちろん、A級戦犯を合祀する靖国神社への異議でもあった。これも何かの因縁か。河野氏の父・一郎氏が建設相だった63年、地元神奈川県平塚の私邸が放火され、全焼している。日ソ国交回復の立役者だった一郎氏を「容共的だ」と、かねて攻撃してきた右翼の犯行だった。犯人の一人(野村秋介氏)は服役後も経団連襲撃事件などをこし、93年、東京の朝日新聞社に社長を尋ねて面会中に自殺した。戦前はもとより戦後日本にもテロの歴史がある。左翼の過激派が暴れた時代もあったが、右翼のテロも陰惨だ。60年、社会党委員長浅沼稲次郎氏が、東京日比谷公会堂の演壇で、右翼の少年の刀に命を奪われた。61年には中央公論の嶋中社長の家が右翼に襲われ、お手伝いさんが死亡、夫人が重傷を負った。87年の憲法記念日には朝日新聞阪神支局が襲われ、散弾銃によって二人の記者が死傷している。どれも言論が狙われたものだ。
'06.8.28.朝日新聞・若宮 敬文氏