散歩道<1167>
「好感」のありか(3)・つながり求めて伝統回帰 批評なき記号「かっこういい」 (1)〜(3)続く
写真家の藤原新也さんも、若い世代について「他者とのぶつかり合いなしに育ち、感情が空白化している。それでも感情輸入しやすいものを探したとき、安定した『過去』なら傷つくこともない。刹那的で、希薄だ」と指摘する。武田さんは、そんな刹那性を、「文脈のない日本回帰」と表現する。「白州次郎ブームにしても、実際は汗をかき、歴史を生きた人物ではなく、歴史の文脈から取り出し、記号化した情報で、かっこういいと言っているように見える。そして、そんな人を好きになる自分も好きになる。自分探しの延長にあるのだろう」武田さんには。今の「古きよき日本」へのまなざしが、70年に日本を「記号の国(表微の帝国)」と評したフランスの思想家ロラン・バルトのそれと重なってみえる、という。客人が見るような、記号としての日本。
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「ようこそ日本へ」「TSUBAKI」のCMソングでSMAPは、こう歌う。海外から訪れた人に呼びかけうように。そして、サッカー日本代表のオシム監督のこんな言葉に、共鳴する人も少なくない。「日本代表を日本化させる」。自分自身のことのはずなのに、まるでほかの場所からながめるような記号としての日本への好感。それは、記号の戯れて終るのか、自分や国を考える契機となるのか、それとも、文脈を欠いたまま別の方向へ流れていくのだろうか。06年、夏。人々が好感を抱いているように見える現象や人物などを通じ、時代の気分を探ってみたい。
'06.8.22.朝日新聞
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