散歩道<1116>
昭和天皇の重い言葉(1)・A級戦犯合祀 (1)〜(2)続く
東条英機元首相ら14人のA級戦犯が靖国神社に合祀されたのは、78年のことである。戦後も8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇は合祀を境に参拝を止めた。その心境を昭和天皇の言葉が元宮内庁長官の故富田朝彦氏の手で記録されていた。 A級戦犯の合祀に不愉快感を示し「だから私はあれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。昭和天皇が靖国神社参拝を止めたのはA級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民元宮内大臣だった。メモにはその名を挙げ、「松平は、平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らず」という言葉がある。A級戦犯が合祀されているところに参拝すれば、平和国家として生まれ変わった戦後の歩みを否定することになる。昭和天皇はそう「考えたのであろう。天皇個人としてという以上に、新憲法に基づく「国民統合の象徴」として賢明な判断だつたと思う。しかも、中国などが合祀を問題にする前の主体的な判断だったことを重く受け止めたい。戦前天皇は陸海軍の統率者だった。自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇が靖国神社に赴き、戦没者の魂を慰めたいと思うのは自然な気持ちだろう。しかし、戦争を計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。そう考えていたのではないか。
'06.7.21.朝日新聞
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