散歩道<908>

                     私の視点・メール問題(2)・疑惑追求に野党は偏るな       (1)〜(2)へ続く

朝日新聞・ニュース報道・メール問題・政治と娯楽散歩道(904〜911)まで続けます

  しかし、国会議員が正義を振りかざして、「司法機関」化することは、先に述べたような国会審議の形をゆがめてしまうのではないか。疑惑は最終的には司直の手によって解明されるべきものである。今回も国政調査権の発動の国会是非が問題となったが、強制力のある調査への過剰な期待は、言論の府にふさわしくない。ところが日本の国会は長い間、とりわけ予算委員会などの場で、野党による疑惑追求が見せ場となってきた。選挙で政権を取れない野党が、不正を追求することで自らの弱さを補い、何らかの妥協を引き出すという図式で、国会審議における駆け引きが繰り返されてきたのである。今回、メール疑惑の追求を野党に期待し、その失敗に怒りをみなぎらせているメディアや有権者は、この古い国会イメージをいまだに持ち続けている可能性がある。そもそも前原執行部は、「対案路線」を掲げ、新しい国会審議のあり方を模索していたはずである。それに対し党内外からは、疑惑追求が足りないという批判の声が寄せられていた。こうした状況で焦りが生じたのであろうか、疑惑追求にのめりこんだ途端に大失態を演じてしまった。そこで「次はもっと確実な調査をもとに疑惑追求を行なおう」というだけでは、問題解決として不十分だろう。選挙で有権者が政権政党を選ぶことが可能になった時代には、それにふさわしい国会論議が必要である。民主党の猛省は当然として、有権者の理解も大切だ。野党の役割が変りつつあることを認識し、野党や国会論戦に対する期待の中身を変えることが求められるのではないか。

'06.3.4.朝日新聞  政策研究大学院大教授 飯尾 潤氏