散歩道<6908>
文芸時評・「文学」の働き(4)・・橋をかける 世界と私に
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先日亡くなった文芸評論家の加藤典洋は、彼の名を一躍有名にした『敗戦後論』(ちくま学芸文庫)と同時期に描かれた名著『言語表現法講義』((岩波文庫)の中で、「うれしい、ステキだ、という感情は、自分からしか発しません」といっている。
加藤にとってもまた、書くことの出発点はつねに自分の<実感>だった。文章を書くためには、書き手は自分から離陸し、物語が、上からたらしたロープではなく、ハーゲンにロープを通しながら下から崖を昇ようにしなければならないという。
いったん自分から離れ、徒手空拳で試行錯誤を繰り返す。汚れても失敗してもいい。でもそうしなければ、書き終えた文章から、「あこがれ、ステキだ」という気分が伝わってくるはずがない。
上から与えられる権威や心理をまず疑った加藤は、自らの書き方・考え方を「見えない対岸に向かって橋をかけるしかた」だとも言っている。自分の<実感>に嘘をつかず書き続けた<ステキ>な作家の冥福を心から祈りたい。<検>教養、<検>面白い文章、
'19.5.29.朝日新聞・作家・小野 正嗣氏
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