散歩道<677>
散歩道・面白い話大集合(229)・1239
1237.今年の京都市長の年頭の挨拶。
江戸時代末期よ、京都が政治の舞台となり、諸大名や諸藩の家臣たちが次々と入洛、京都とは騒然な雰囲気となりました、そして大政奉還により、幕府は政権を朝廷に返上。樹立された新政府は、江戸から名を代えた東京に都を移したのです。京都が都の地位を失うと、大半の皇室・公家、また、有力商人たちも東京に移りました。人口は34万人から20万人余りに減少。都市は衰退し、最大の危機に直面しました。
本年は明治維新から150年。都の地位を失い、都市存亡の危機を迎えていた京都を、全国初の小学校(西谷良圃(にしたにりょうほ))や、芸大、工業高校の創設、琵琶湖疏水(田辺朔郎(たなべさくろう))や市電(高木文平(たかぎぶんぺい))の開業(昭和30年迄80年間)などで見事に復古させた。明治30年代、人口30万人を超えた京都の三大事業(水や電力の供給、上下水道の敷設、幹線道路の拡巾)を西郷菊次郎(西郷隆盛の子)が「百年の大計」と位置付け強い信念で実施した。先人たち、その志と、偉業に学び、皆様と共に挑み続ければ、さまざまな課題を克服し、世界文化都市の理想を実現できるはずです。
1238.平成の年号の発案者は、安岡正篤氏
明治の年号の発案者は、福井藩・松平春嶽(1828-1890)氏、平成の年号の発案者は、安岡正篤(1898-1983)氏、
1239.谷亮子さん異例の飛び昇段
谷亮子さんが、4段から、6段に異例の飛び昇段した。いわゆる飛んでいたこと
1240. 「不見」(みず)がなぜ「水」になったか「水商売」(みずしょうばい)
昔、花札賭博をするとき、客の中には、手札のよしあしや、場札の状況をろくに見ないで、かなり無謀なはったり勝負に出るものがいた。これを「不見出(点)」(みずてん)といっていたが、間もなくこの「点」に「転」をひっかけて、客を選らばずだれにでも転ぶ(ころ)芸者を「不見転芸者」というようになった。「水商売」とは、こうした客しだいの、浮き沈みの激しい商売の性質が、「水もの」の水のイメージと重なってできた言葉だという。不安定な商売であることは、今も昔も変わらないかもしれないが、一部では客を見て扱い方を変える現金な店が珍しくない昨今、「不見」の字は当てようにも当てられまい。樋口清之様