散歩道<620>
散歩道・経済気象台800号記念・面白い話・大集合(172)
957. 大学時代の思い出・1~2年生
散歩道で気が付いたことは、学生時代の記述が極端に少ないことである。大学の入学試験には遅刻した。前日、試験会場を調べに行ったんだが、昨日調べた改札口を間違へ、別の出口から出たことによる。試験の途中で、答案はすでに出来上がっていたが、お腹の調子が悪くトイレにいくことを試験官に認めてもらって済ますことは出来た。下宿は調布市の民間の下宿屋で学生が5~6人おられ半年住んだ。高校時代は運動部に所属していなかったのと、クラスも約50人と多く、仲間も出来にくく、大学生活や、都会の生活にもなじめないのではと考え、八幡山で練習に励んでいるハンドボールが自分にもやれるのではないかと考え、入部した。後で気が付いたのは殆どの選手は県を代表するスタープレーヤで国体の選手であった。1年間は必死に練習に励み、試合にも途中出場として選手として起用してもらったこともある。
大学の公式試合会場は元の駒沢球場で春・秋の期間中はそこで試合をした。試合には渋谷から駒沢まで玉川線のちんちん電車で通った。叉、練習試合で慶應大学と日吉グランドでビールを2~3ダース賭けて?試合したのも記憶している。試合に勝ちビールを、生まれて初めて一気に4~5本飲み、急性アルコール中毒で全身蕁麻疹が出て、その後遺症で大学卒業するまで悩まされた、(飲めるようになったのは大学卆後である)。2年生以降、折角大学へ入った以上勉強するのが私の務めだと強く意識し、ハンドボール部を退部した。部を辞めてからは、主に新宿(たまに渋谷)の街を歩き回ることに集中した。そこで都会らしい感覚を自分なりに感じるようになったと思っている。クラスやフォークダンスの遊び仲間も多く出来るようになったし、叉、ゼミ(商業英語)の仲間も増え、勉強する時間も増えた。図書館では経営学、心理学の本は片っ端から読んだ。授業では藤原弘達さんの話は全部講義には出た。面白かった。その後は3~4年生となり 仲間からの誘いを受け、民謡研究会、のちのサワラビコールの仲間に入れてもらうことになる。 <検>教育、若者
958. てんやわんやの中でうまれた和製英語:「背広」
西洋文明がどっと押し寄せてきた明治時代、いたるところで外来語がはんらんした。そんな てんやわんやの中から、「背広」も全国に広まった。一説によると、西洋との窓口だった横浜の車屋さんが、外人客から聞き覚えて広めたという。ところがこの語源をたどると、どれとははっきり断定できないというから、当時のあわただしさも想像できるというものだ。いわく、シビル・クローズ(civil
clothes)の略だ。いわく、洋服屋街セビル・ロー(Savile Row)の略だと。いっぽうでは、フロックコートやモーニングより背中が広く見えるからだという、日本語語源説もある。志村和久様
959 優秀な幕僚とは
作戦計画を作成するために必要なものは優秀な幕僚だが、優秀な幕僚とは、決断を下す能力。臨機応変の才能。自分の案以外の代案を受けつける度量。の3つの資質を備えたものでないといけない。<検>193