散歩道<5526a>
                          (5526-5530)

散歩道<5530>禅・・・心をかたちに・・・(1)
 この特別展覧会が、今年は臨済禅師1150年、白隠禅師250年の記念すべき年に当たるらしい。今日は中・高年者の方、小・中学生の団体が先生の解説を受けながら進んでいる。日本に初めて臨済宗が入ってきた始めの13~15世紀は中国との交流がいかに盛んであったかが並んだ高僧の多くが鎌倉・室町・江戸初期に渡来され、宗派を日本に広められたかわかる。それらが伝えたものは禅宗のみならず、習字、絵画、陶磁器、
茶道具、茶の流儀、など多岐に渡る。興味ある解説では日本の第一人者である雪舟が中国の宋末の水墨画家牧谿の絵を模写し、日本流の水墨画が作られていったという、他の文化等もこのような優れた人達から日本全国のすみずみまで広まっていったのである。<61>言葉、<2906>白隠、<2276>白隠・替歌、<5499>言い出しっぺ

散歩道<5529>ヒストリー日本の「お伽話」と現代の関係?(2)
2, 「狐の嫁入り」、日が照っているのに、雨が降っている状態をいう。これは最近日本全国でいたる地域で起こっている、ゲリラ豪雨ということになる。天気予想の精度が上がった為、解消しつつあるようだ。どうも地球温暖化と関係があると言われる?。3, 「因幡の白兎」、欺(あざむ)いた鰐(わに)から川をはがされた白兎が潮を浴びて苦しんでいるのを、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)が、治療をしてあげた、それがお伽話として伝わっている。これが日本薬学会の治療に関する、初めての記述といわれるこの屏風が三重県津市の岩埼病院の待合室に飾ってある。<103>因幡の白兎、<検>環境


散歩道<5528>ヒストリー日本の「お伽話」と現代の関係?(1)
 
NHK歴史ヒストリーの1、「シカと奈良」の話から、昔、祖母の話を思い出した。シカは奈良の神社の使いの大切な動物故、朝、家の前にシカの死骸があると、この家の人が殺したと思われ罰せられたそうだ、そう思われないよう、朝、庭先に死骸があればそれを別人の庭先に置いたそうだ、それが
「早起きは三文の得」という言葉を生んだという、その背景に、1685年五代将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」の為、野犬が野放しになった事がその原因であったといわれる。   5,13   <検>動物 <検>言葉、

散歩道<5527>信貴山縁起絵巻(3)・新発見・発想の転換
 
(5526)-3で
記述した、山崎について新しく知り得た事がある。当時の山崎は、大阪の淀川、京都の桂川、宇治川、木津川の交差する位置にあり水上交流の経済の一大拠点であったようだその周辺には住居が立並び繁栄をしていた街並みであったと思われるが、豊臣秀吉と明智光秀のこの地域で行われた1582年天王山(山崎)の戦で、この地域が戦場と化し、その時荒れ野原になった。 こう考えていた背景には、京都側からの視点に立ちこの地域を見ていたたこと、川の流れのように(淀川が川下である)、経済は発展したと考えたのだが、むしろ逆であったようだ、叉、時代は奈良、長岡京、京都と変遷していったのである。<検>地域、<検>宗教、
 
散歩道<5526>美術展・信貴山縁起絵巻(2) 

 私は会場に来る途中、叉、鑑賞後、参考になった事柄がある。1,ここに描かれた武士、民衆の自然の喜怒哀楽の表現が自由に実にことこまやかに描かれ、それが物語になっているのである。2、異時同時法の絵の描写は興味ある方法である。3、当時の信貴山から見た京都は山崎(現在の大山崎)の方が近く、繁栄しているように考えられたのでは、4,復元模写で、当時使用された色(赤、茶、緑、青、黒は実に明るくコントラストも活き活きしていたということだ。(バックに裕福な人がいたのは間違いないが5、今日も外人観光客が多かった。外人観光客は言葉で話すよ先にスマートフォンを相手に示し説明を受ける事が多い場面に何度も目にした。よく使われている証拠である。