散歩道<5466a>
(5466-5470)
散歩道<5470>琳派・京を色彩る・3氏の「風神雷神図屏風」
今日はウイークデェーではあるが、新装に成った京都国立博物館には中高年を中心に早朝から30分待ちである。本阿弥光悦の書や陶芸、漆芸、俵谷宗達の絵が琳派の原型を作ったと云われる。NHKの放送でも取り上げられていた。天才画家・尾形光琳は多くの作品で名声をほしいままにしていたのに、なぜ、先輩の俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を画いたのかは宗達の絵があまりに素晴らしかったからである。それは模写から始まった。彼は工芸にも優れ光琳模様、光琳蒔絵を生んだ。叉、100年後の酒井抱一(1761-1828)は光琳に傾倒し、「風神雷神図屏風」にも挑戦、数々の4氏の作品は国宝や重文を含む超一級品の作品である、3氏の同じ名の作品が同時に見られる有難い美術展であった。日本文化の素晴らしさは、これ等作品からも感じられるのである。散歩道<検>絵画展、 15.11.20.
散歩道<5469>53年振りに民研の総会に参加して(2)
何しろ人数が100人近くであったので、私は、皆と話合うよりもVTRの動画を中心にと撮って編集する方が公平に皆を撮影出来ると判断し、合唱の録画と撮影に集中した。一応自己紹介の準備はしていたが兎に角、短くすませた。やはり一番良かったのは元気な懐かしい皆と会えた事、場所を代え、話した内容の多くは健康に関するものであった。叉、我々の時代に「民研」という名が「さわらびコール」として立派に継続され、60回目の総会であったことである。久しぶりの東京で気付いたのは外人が多い、その彼等はスマートフォンで写真を撮り、場所の確認をしながら歩く姿である。早朝時、帰宅時の東京の街行く人達には勢いが感じられる。帰って写真の編集したら30枚以上になった。歌を聞きながら、皆の今後の更なる活躍を期待するのだ。
散歩道<5468>53年振りに「民研」の総会に参加して(1)
当日、時間の余裕を持って東京に着き、総会が始まる前、丸の内の三菱美術館で「プラド美術館展」を見て後、会場についた。総会の開始の展開は予想外のもので、現役の皆が校歌や応援歌の披露から始まった。53年振りに聞くこれら合唱は、心揺さぶるものだが、歌詞は明治初期の日本国の置かれた状況を物語る、諸外国に負けるなという強い思いが歌に込められているようで、前へ前へと進めというような勇ましい歌だったのだと感じた。大学のバッジを買った私は、学生時代に還ったようで何だか緊張した。同年卒の仲間の5人と出会うことが出来た、今も、現役として頑張っていることに安心した。正直、自己紹介や、名札が無ければ殆どわからず、53年の年月の経過を感じざるを得なかった。 民研とは民謡研究会のこと 明治大・<5458>53年振りの同窓会、<検>教育、<検>音楽、
散歩道<5467>美術展・国立国際美術館・2015・コレクション
実にユニークな美術展である。美術品は「ミニマル」・「人工/自然」・「可視/不可視」・「日常/芸術」・「表層/深層」と区分されて作品が展示されている、 常識とは何か、日頃見ているものが普通なのか、統一がとれているのがよいことなのか、不揃いなのはよくないのか、形がきれいなこと、美しく見えることはいいに違いない、馬鹿でかいから、大きいから、小さいから、顕微鏡の世界、自然は見えてるものだけでない、見えない世界も、宇宙にはあるはずだ、色も、この色だと見極めるのは実に難しい、テレビが映し出していた多くの絵を集約された色は画面がパチパチしていて見極めるのにとても無理とわかる。そのような意味もあるのかここに展示されている多くの題名は「無題」というのは分類不可能という意味からすれば分る気 がした。 小学生の2つのグループが先生の解説を受け質問しながら見学していた外国ではよく見慣れる光景であるが、素晴らしいことだと思い見ていた。散歩道<検>未分類、<検>美術展、 '15.10.28
散歩道<5466>講演会・第二部・私の戦後・京都の戦後(2)
小松所長は、まだ誰もやっていないおんりょう、妖怪の研究をやろうと考えた、その言い伝えがある地域には何度となく足しげく通って研究されたそうだ。 井上副所長は、B52の大空襲を受けた東京や大阪の廃墟跡とイタリアのフィレンツェ(鎌倉時代)、ヴェネツィアと、京都河原町、三条通りの戦後直後の街並みの様子が写真で示された、その差の余りもの違い、其れは避けられなかったかという問いかけである。(勿論、京都にも空襲があったのも事実だが)、イタリアには文化を守る為、戦争はしてはいけないという教えがあった。空襲を避ける為イタリアには戦争を負ける様にしむけた軍人がいたのである。日本には、贅沢は敵だと、1940年鹿鳴館を解体したが、それを惜しんだある建築家の思いで当時の面影は、今、明治村でそれは生き延びているのである