散歩道<5318>                                  554から移動

                             ベルリンの至宝展私流の見方

 ドイツの国の生い立ちと、この美術館の歴史上の変遷との間に、ドイツ帝国の成立、第1次、第2次世界大戦等の影響が非常にあったのだと感じられる。(建物自身が大変な被害にあっていた。そのことをどうしても考えることになる)。今だ、計画の途中にあると説明されている収集にあたっては大変な、多くの努力がなされたのであろうと思う。
ドイツ人の美術に対する感覚、形式を重んじるドイツの流儀があるようだ。例えばフランスの印象派への冷ややかな反応など
(報告されている)この展示会には東洋(中国、日本)がほとんどない。仏像がない。歴史的に観れば、大きくは100万年前の石器時代。7000年前の新石器時代、オリエントの影響、5000年前のエーゲ海、青銅文明の影響、2900年前のギリシャ文明の影響を受けていたと説明されている。5500年前のメソポタミヤ(人類最古の文明)、シュメール人、アッカード語、楔形(くさびがた)文字。遺跡に残された文字も、法令だったり、勅令だったり、契約書だったり、文書であったりする。当時の生活がそこにあることが示されている。神の形として、動物の頭の部分がよく出てくる。なんだかの意味があるのだろう。古代エジプト時代に宇宙、世界創造、国家、国家の権威、戦争、災害等の考え方が出来、影響も受けたようだ。女性像や女神や豊潤、多産などの表現方法で美術品に残しているものも多くある。遺跡には、最初は太陽と王が同列に並べられたりしている、その後、太陽が王の上に描かれているようになる。世俗的な絵と冥土の世界が、同じ1枚の石像の上に刻まれていたり、2柱の神、昼と夜、死と再生の永遠の循環、下半分は復活を表わす。何時までも永遠に生きる希望をもっていた。ミイラマスクに描かれた金色は神の肌の色だそうだ。(当時の人の思いが表れていて興味ある)一方、色々の貨幣の変遷が、王の存在を表わしたり、戦勝記念に貨幣を作ったり、当時の社会情勢を表わすものである。ローマ時代にギリシャの神は、引き継がれる。一気に長期に渡り、文明が花開くことになる。宗教絵画がその本流であるが、ヨーロッパの古典絵画のボッテチェリ、ベンツのビーナス、タイ・リプリの聖母子。宗教の影響から離れようとしている描写がある。ヨーロッパ絵画で次第に鮮明になる聖なる者から乖離を見せている。一方、イスラムでは唯一の神アッラーで、偶像崇拝がない。 崇拝ないので書道、装飾模様が発達したといわれている。書は一番重要なものである。

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