散歩道<5186>
 
 
                       文化・思潮・あれから2年・俳句をめぐる空気動いた(3)                (1)〜(3)続く
                                 
人々の祈り 伝統大事に 
        

「忘れぬ」意志

西村 私が社会に出た昭和40年代は経済発展一色でした。当時の朝日新聞もバラ色の記事ばかり。でも歌壇俳壇面にだけは、終戦から20年以上たっても戦争のことが載っていた。死者のことを「忘れまい」という、投函者と選者の意志が感じられた。これこそが一般投稿で成り立つ新聞俳壇の役目だし、今も変わらない。
 紀貫之
(866-945)はわが子を亡くした悲しみを漢文調では書けず、女性の日記に仮託しなければ嘆けなかった。「土佐日記」にあるように、夫を亡くして「おもうことにたえぬとき」にこそ、私は俳句を作った。長谷川さんもその思いで「震災句集」をつくったんでしょう?
長谷川 そうです、詩歌は本来、楽しいこともつらいことも世の中に起きた全てを詠まないといけない、という思いからです。
小澤 しかし、王朝和歌や俳諧には震災や火事は詠まれなかった。詩歌は人々の祈りだから、口にすると言霊になり、本当に起きてしまう。虚子が「関東大震災は句材にならない」といったのは、そういった伝統からだと思う。その伝統は大事にしたい
長谷川 震災の前と後とでは明かに俳句の成り立つ「空気」が変わってしまった。(作る側も読む側も)天真爛漫(てんしんらんまん)なものに冷や水が浴びせられた。ただ、俳句も短歌も我々が考えている以上に大きなもので、普段は氷山の一角に表れている部分だけを使って作っている。その一角だけに注目すれば現状は大きな変化だが、その下たにあるものを考えれば何も変わらない。当事者性とか季語の変化といった抽象論ではなく、これからは体験を生かしたいい句を選んでいく段階に入ったと思う。まだ2年しかたっていない。いい作品はこれからです。

'13.3.5.朝日新聞・長谷川櫂*1(朝日俳壇選者)さん、 小澤實(読売俳壇選者)さん、 西村和子(毎日俳壇選者)さん、

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