散歩道<5067>
政治を話そう・インタビユ・オピニオン・ 退屈しのぎを超えて
経済成長の時代全ては 暇つぶし 政治も消費された(2) (1)〜(5)続く
原発や領土問題には関心があるが、自民党総裁選や内閣改造は「どうでもいい」と感じた人。デモに参加した人。そんなあなたは哲学者・国分 功一郎さんによると「動物」になったんだそうです。いや、悪口じゃありません。退屈しきった人間から動物に返信したあなたこそ、政治を変える主役かもしれない。そんなお話です。
・・・・日本人も退屈と向き合ってきたのですか。
「日本は特に、政治を退屈しのぎにしてきた国だと思います。以前から、日本は先進国であるのに政治意識が高まらない、例外的な「臣民型」の国だという評価がありました。政治参加の意思も抗議運動への理解もない、と。戦前のドイツも臣民型と言われましたが1960年代にそこから脱しています。
「日本がなぜ例外であり続けたかといえば、やはり経済が大きい。60年代以降、日本だけは経済が右肩上がりで社会システムも安定していた。その中で怪物的な消費社会を作りだし、あらゆるものを消費の対象にした。政治もその一つになった。消費社会というのは、物ではなくて、物に付与されたイメージや記号を売るんです。イメージや記号だから、消費は実感を伴わずに行われ、満足も得られない。政治もその中に巻き込まれていたのでしょう。
・・・・マスコミは政治報道に力を注ぎ、人々も投票所に足を運んできた。それが退屈しのぎの消費に過ぎなかったのでしょうか。
「すべてがそうでもありませんが、そもそも与野党がなれあって、事前に強行採決や乱闘の手順を料亭で決めていたような時代があったわけで、国会自体が出来の悪い芝居だったのではないでしょうか。マスコミはそれを『破局』としておもしろおかしく報じ、飲み屋での政治談議に話題が提供される。政治はそんな退屈しのぎぐらいになれば十分だったんでしょう。その暗黙の前提となっていたのが、放っておいても誰かがうまくやってくれる、という政治への白紙委任状的な態度です」
'12.10.2.旭新聞・哲学者・国分 功一郎さん
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