散歩道<3929>
オピニオン・耕論・外交と世論(3) (1)〜(4) 続く
大きな政治で内向き崩せ
首相が下す決断
戦後の座標軸を定めた吉田首相のリーダーシップはその最初の例です。60年の安保改定は、より対等な日米関係を築こうとする岸信介首相の大号令で進められました。69年から72年にかけての沖縄返還は、佐藤栄作首相が「核抜き本土並み」を掲げました。米国と交渉していた外務省幹部は「容易ではない」と思っていましたが、首相を支えてそれを実現しました。72年の日中国交正常化では、日米安保条約に触らない、台湾との実務関係は続けるという二つの条件さえ守れば国交正常化をやるというのが田中角栄首相の決断でした。大平正芳外相はもう少し細かいことまで理解し、指示をしましたが、実務は我々を信頼して使ってくれた。
いまは副大臣や政務次官という形で政治家が外務省に入っています。政治家が外交を理解するうえでよいことですが、ミクロをやることが政治主導ではありません。国益のかかるマクロの話を、首相が外相を使ってやることが本来の政治主導だと思います。
80年代には中曽根康弘*1首相がレーガン米大統領と「ロン・ヤス関係」を築き、政治や安全保障で指導力を発揮しましたが、それ以降は、政治主導という面では物足りないものがあります。
ひとつの原因は、米ソの冷戦構造が崩れたことでしょう。冷戦時代には、国際政治の対立がはっきりしていて、日本の座標軸が明確に決っていた。冷戦が終わって、東側がなくなってしまい、そもそも西側とは何かという問題が出てきた。ソ連のように単純明快な脅威もない。そういう中で、首相が前のように明快なイニシアチブを示しにくくなっている面があります。
'10.10.13.朝日新聞 元駐米大使・栗山 尚一さん
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