散歩道<3806>
講演会・平和のための戦争展・軍事郵便が語る望郷の念<3> <1>〜<3>続く
A、2010平和の為の戦争展から、 B、テレビ・ゲゲゲの女房の戦争シーンから
8、この島(ニューギニアでの話)は玉砕と、はやとじりの報道が本部にされたため、兵士は無理死を選ばされた。次の選択肢は最前線で戦うことを強いられた、それは死ぬことを意味していた。B
9、第2次大戦時でも、お粗末な前近代的な武器(これらの武器は、日露戦争(1904)又は、日華事変(1937)で使っていたものとほとんど進歩していなかった1発ずつ装着のものではないか)、と精神力だけで兵士は戦うより方法がなかったのではないか。”1発100中の”心を込めて打てといった意味が分かった。(何しろ装着に時間がかかるのである)外れると逆に敵にやられるからである。備考:展示された銃2挺をみてそう考えた。A
10、皆、兵士は生きて日本に帰りたかったのだ、亡くなった兵士は水木しげる*2に、このことを(死ぬのはいやだと)書いてくれと伝えたように思う。B
11、水木しげるは、物事を楽しく、明るく見る習慣を身につけた陽気な性格であったことが、人が生きれる極限の生活にも耐えることが出来たのだろう。
散歩道<検>五木寛之様の話:強い枝、硬い枝は折れます。やなぎ、竹、しなる枝は曲がります。
12、ここまでちゃんとした形で、国民を戦争に借り出したものは、官僚、軍隊、警察、憲兵、教師等これらみなして行ったのだ。戦争遂行の必要性や、日本国民上げて戦争に立ち向かうことが正しいとあおったのは、責任はマスコミにもあると思う。A、B
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