散歩道<3528>
平城遷都1300年記念・遣唐使船再現・シンポジューム(3) (1)〜(3)続く
10、一流の人物が辺縁国(日本)へはこなかった。日本の留学生は、そこで入手した文物を日本に持ち帰る方法を取り続けた、それを独自の日本流に作り変えた。(この方法は、江戸時代まで続くことになる)。一方、書籍で伝えきれないものを唐人(遣唐使)から学んだ。8世紀後半、唐の力が落ちる、(*2このことが、もはや中国から入手するものはないというような考え方が出てきたとも考えられる。Japan as no1*3というような考え方が当時、あったのかも知れないと。面白い話)
しかし、東アジアの近隣諸国や、周辺国(新羅、百済、渤海)へは、一流の文化人である知識人、囲碁人を外国に派遣したのである。それは中国はどの分野でも一流の文化国である*4ことを示すことでもあったといわれる。
11、遣唐使が日本に伝えたものは、 1、唐文化(思想・宗教・信仰・信仰システム)仏教、天文、技術、制度、2、*5音楽、3、*6雅楽の秘伝。(雅楽の指導に何人かの人を日本に招いていることは記述されている)、4、囲碁等を伝える。
12、貨幣は始めは、まじないとして使った。通貨として使われたのはずっと後の時代になってからである、
13、当時の日本で歌われた万葉集、古今和歌集や、続日本書紀の中に、遣唐使としていく人に、言葉にして伝えたいものを歌として、親や恋人の気持ちを伝えたものが残されている。
'10.4.24.講演・講師・国学院大教授・鈴木靖民氏、奈良大教授・上野誠氏、東洋大教授・森公章氏、工学院大教授・榎本淳一氏
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