散歩道<3419>
経済気象台(547)・マラソン型歴史観
「マラソン型歴史観」という言葉がある。つまり世界の国は、先頭からビリまで、同じコースを走っているとする思考方法のことである。代表的なのが、アメリカやヨーロッパの一部の国で生じている経済現象を見て、それを先頭(進歩)と思い込むことだ。慌て者たちはそれによって「日本は遅れている」と主張する。
リーマン・ショックの前までの議論を思い出すとよい。日本の産業構造の転換の方向として、製造業ではなくて「金融の強化」を唱えていた人たちがなんと多かったことか。「アメリカではもう製造業など終わっている」と。しかし日本からの「ものづくりの輸出により、アメリカで何十万人という雇用がうまれている。 日本の翻訳文化の歴史は古い。幕末から今日まで、横のものを縦にする歴史が続いてきた。それは換骨奪胎をする日本の強さでもあった。
今はどうだろう。『金融工学』熱は下火だが、アメリカのビジネススクール帰りの理屈は相変わらずだ。特に人材育成などの領域で「日本のやり方」の改革を主張する。しかも不思議なのはその際「日本は何々をすべきだ」という、ナショナリズムの主張と重なったりする。データを概念化する力、つまり「理論を作る能力」ではたしかにアメリカは強い。しかし現実はデーターに還元できない部分が常に伴う。
現状をよし、としたら退廃がはじまることはいうまでもない。また進歩は無数の試行錯誤をともなう。
「ジャンパン・アズ・ナンバーワン」*1で高転びをして、次には過剰に悲観し、今は途方に暮れているのが日本の精神世界である。しかしこの十年、日本の産業は健全であった。もう少し自信を。
'10.2.18.朝日新聞
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