散歩道<335>

                 面白い本・立花隆様(3)サイエンス・ミレニアム悩を侵す環境ホルモンについて

 アメリカでは昨年(1998)4万人の男性が前立腺ガンで、4万人の女性が乳がんで亡くなっている。どの程度の厳格さが必要かという問題では、基本的には2つの原則的立場があります。1つはロベルト・コッホが主張した、病因と病気の関係を完全に証明しようとする厳密な立場です。もう1つは疫学の立場です。流行性の病気が起きた時、病因の厳密な証明が出るまで、何もしないで待っているのは現実的ではありません。考え得る原因となる要素を、片っ端から洗い流し出して、見込みの大きさにしたがって、その要因を順次押さえていかなければ、流行は収まらない。未来にもたらされる危険性が非常に高い場合には、厳密ではない証明にもとづいて、公的機関が対策を決定できるという原則があるわけです。環境ホルモンで2つの原則のどちらをとるか。コッホの原則では,100年経っても厳密な証明が出来ない。何の対策も取れなくては、手遅れになることは目に見えています。我々が取れる立場は、今は疫学の原則よりないんじゃないですか。もう1つの別の角度から言うと、ものの考え方には「何が真理か」を最優先する立場と、「何が正義か」を最優先する立場と、2種類の原則があると思います。これまで日本の公害裁判では、企業側は厳格な証明を求め、「何が真理か」を最優先する立場を主張してきた。それに対して原告側も裁判官も易学的な立場をとって、真理が必ずしも見極めがつかめなくても、「何が正義か」を優先させてきた。環境ホルモンの問題に関しては、世代を超えた、社会全体の歴史まで見越した正しさが重要と思うんです。しかも「何が真理か」という問題に関しても、実は厳密な1対1対応の因果関係的説明が、必ずしも正しくないということが、わかってきたのが現代の科学じゃないですか。動物は自分から話すことは出来ない。私は自分から話せないものの為に働いているのです。そして、これはあなたの子供にも私の子供にも起こるかもしれません。