散歩道<316>

                        
マルモッタン美術館展・(1)ベルト・モリゾ女性解放

 当時の世界は絵画の世界でも、今のように自由ではなく男性中心の世界であった、女性が自由に外出ることもままならなかった。マルモッタン美術展はある意味では、ベルト・モリゾの美術展という感じである。(監修・解説者の坂上桂子様の文章を参照にして、見ているとベルト・モリゾの絵と印象派の作品は違う感じで見たことは事実である)それは女性解放闘争の歴史という感じをもつ。女性の絵画のプロの画家として生きたベルト・モリゾの強い決意のようなものをその自画像や、日常生活の描こうとしているモデルから訴えるものが、発信されているように思える。その表情から感じる取ると、描かれている絵が興味あるものに見える。画面の周囲は大きく塗り残されており、未完/完成、習作/完成作の領域を自由に横断した印象派の美学を大胆に使っていた。舞踏会の絵であっても(華やかな舞台ではない、室内で描かれた絵である)特に女性の強い意志をそこに感じさせる表情を見せている。彼女の作品の主題が、彼女自身の生活と人生を直接反映したものである。しかし、彼女は古い当時生きたベルト・モリゾの時代背景と、習慣や古い教育制度に対抗的で、それを突き破ろうとしていた気持ちの強さや前衛的なものがそこに感じる。彼女の姿勢は、例え、描くものが彼女の家族であっても、普遍的な彼女のイメージの作品をそこに描こうとしていたのだ、そこには私的な要素を排除することにより、プロの画家としての態度を一層徹しようとしているところが見られる。彼女は、当時、男性しか描くことがなかたヌードの絵にも挑戦している、19世紀のブルジョワジーのイデオロギーが、女性に課した概念は、女性の居場所は家庭であり、妻となり母となることが女性の唯一のアイデンティティーであることだった。一方、近代において、芸術家、すなわち画家について確立された概念は、反社会的で弧高なボヘミアン(芸術家など習慣を無視した自由奔放で放浪的な生活をする人)、アバントギャルド(前衛賛美者)としてのイメージである。すなわち、女性/芸術家の概念は、決して相容れることのない、家庭的/非家庭的という、相反するもの同士であった。女性のアイデンティティーは、母となること、妻となることであり、女性は画家になりえなかったのである。
'04.6月の来週から、仙台・名古屋美術展で開かれる。