散歩道<2957>

                   GM破綻と車社会の光りと影 米が生き方探る転機に(3)           (1)(3)続く
                          

自由な感覚育む
 だがもっと重要なのは、自動車のこういう発達が人々の日常生活を変えたことだろう。たとえば若者たちのデートが親の監視から離れ、しかも車という密室で行われるようになって、道徳上の論議さえ呼んだ。経済生活も変わり、たとえばガソリンスタンドでの便利さからクレジットカードが普及し、自動車販売の促進に分割払いが採用されると、たちまち他の商品にも広まった。精神生活も変化を蒙(こうむ)った。自動車がステータス・シンボル化し、機能よりも外面の恰好(かっこう)よさが重んじられ、「モデル・チェンジ」が盛んになると、人々はそれに合わせて踊らされたのである。
 しかし、ではこの一世紀の自動車文化はバブルのようにふくらみ、はじけただけかというと、そうでもない。車は生活を解放し、自由の感覚を育て、アメリカ人が偏狭なリージョナリズム(地方主義)から脱することを助けてきた。
 フォクナーの最後の小説『自動車泥棒』では、1905年の設定で、インディアンの血をひく野生の男が、動物に抱くような愛情を感じ、これを盗み出して珍妙な旅に出る。スタインベックの名作『怒りの葡萄
(ぶどう)』では、大恐慌の1930年代、貧しい農民一家がカリフルニアに楽園を夢見、おんぼろトラックで大陸を横断する。そしてケルアックの『オン・ザ・ロード』では、1950年代、文明の体制に背を向けた若者たちが全米を車で放浪し、至福の実現をはかる。

がぶ飲みの果て
 GM社は「ガソリンがぶ飲み」を放置して破綻(はたん)をきたした。アメリカ人の生活も、一種の「がぶ飲み」的な消費の果てに行き詰まりをきたしているようだ。自動車文化の自由な活動性を生かしなら、アメリカの伝統的な生き方のもとにあるシンプル・ライフの可能性を探り直すことも、これからの方向の一つに思える。


'09.6.8.朝日新聞 東大名誉教授・亀井 俊介氏

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備考:我々が日本で外車(アメリカ)を見た、1962(s47)当時は、外車はガソリンを撒きながら走る車であるという見方をしていた。