散歩道<2883>
opinion・私の視点・核廃絶への演説(1)・オバマが解き放つ歴史感覚 (1)〜(2)続く
オバマ大統領を際立たせているのは、その優れた歴史感覚なのではないか。「核兵器のない世界」を謳(うた)ったプラハでの演説を聞いて、そう感じた。この演説が、核軍縮に向けての提案や、北朝鮮への厳しい姿勢によって注目されたのは言うまでもない.各紙の論評も、核軍縮計画の実効性を慎重に見極めるものが多かった。しかし、それにも増して心に響いたのは、演説に織り込まれた二つの歴史と、新たに導かれた歴史認識の可能性だったのではなかろうか。
その歴史の一つは、チッコを舞台とするものである。冷戦の終焉(しゅうえん)を平和裏に演出したプラハは、融和を象徴すると同時に、独立と自由に向けての長い歴史が刻まれてた地でもあった。20世紀初頭にはパプスブルク帝国下で国民国家の独立が追求され、1968年の「プラハの春」では市民がソ蓮の支配から自由を模索した。芸術や文化を総動員したチェコの抵抗の歴史を物語ることで、オバマ大統領は、自由な社会は、人々の弛(たゆ)まぬ意思と不屈の精神があってこそ実現すると語りかけたのである。
もう一つは、核時代の歴史に他ならない。オバマは、核兵器を使用した唯一の国である米国が、核軍縮を率先する道義的責任を持つと明言した。自国の原爆投下に言及し、核が実戦に使われた事実に触れたことの画期性は強調してもしきれない。それは、冷戦時代に核が使用されなかったことを根拠に主張される核抑止論の土台を揺るがすものでもあるからだ。さらに、最大級の脅威は核拡散であるとしながらも、核保有を認められる国とそうでない国があるという論理を拒むことで、オバマは敵と味方を峻別(しゅんべつ)する冷戦的思考を後にし、「核兵器のない世界」への第一歩を踏み出したと言えよう。
'09.4.16.朝日新聞・成蹊大教授・ 西崎 文子さん
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