散歩道<2625>
経済気象台(395)・金融暴走の土壌
1929年の米国発世界恐慌ではNY株価のバブルをあおった銀行の貸し出しが引き締めに転じ、大暴落の引き金を引いた。政府もなすすべを知らず悲惨きわまった。
この反省として米国は銀行と証券に特に厳しい規制を課し、預金保険制度も発足した。しかし、今回の破壊力は、こうした反省や制度も役立たぬほど強かった。住宅バブルが金融バブルと共に拡張しきって証券化商品の破裂となり、市場の不信と株価暴落は、大手銀行や証券を次々と破綻(はたん)に追い込んだ。米国の投資銀行が中身の分からない証券化商品を有利な高格付けだと売りつけた先の欧州の大銀行は、公的資金による資本の補強や国有化を迫られた。
その背景には多年に亘る米国の経常赤字の膨大な累積に伴ない、実体経済に比してマネーが大きくなりすぎた現実がある。またそれがファンドとして組織化され、公益や節度と無縁な形で運営されることも多くなった。
もし、G'7の合意などに基づく国際協調、特にドルの流動性の異例な規模での供給が無かったら、と思うと慄然とする。危機は今なお進行中だ。災厄が大きければ大きいほど、なぜこれほどの事態が起きたのか、どう変わることが呼びかけられているのかの見極めが重要である。来月開催予定の緊急サミットでは対症療法だけでなく、欧州側からは金融規制の必要を強く主張すると聞く。
しかし、金融の暴走を生んだ土壌は資本の論理を絶対視する発想にあり、それは企業経営にも広く浸透している。だから節度や公益性を柱とする金融の変革を本当に実効あるものとするには、その土台まで切り込む必要があろう。日本はどんなスタンスを取るのだろうか。