散歩道<2618>
                          講演会・西洋人の見た日本

16世紀:日本に関する情報はイエズス会士による布教活動からなされていた。・・・・・・・当時は親近感があった。
      1、 ザビエル
(1506-1552)によるローマ本部宛の日本報告の書簡では「日本人はアジアで出会った人々の中でもっともよい
         民族」と紹介している。
      2、天正遣欧使節の派遣
(ポルトガル、スペイン、ローマ)は西洋で日本人ブームを起こすことになる。
      3、キリシタン弾圧と殉教事件は、欧州ではそこまで強い信念で布教活動をやったということで、美化されて伝わる。


17世紀:オランダの東インド会社による日本貿易独占を通じて得られる情報のみになったが・・・・・・親近感は伝わる。
       1641以降は、出島のオランダ人には、4年に1度だけ、江戸参上が許された、商館長や医師達が同行した。
      モターヌス
(1625-1683)「東インド会社遣日使節紀行」(1669年刊)西洋と日本の文化の違いを相対的なものにする  アジアとヨーロッパの肖像展で実物を見る
       →1、京都全景の図、2、本能寺の変の図、3、切腹の図、(1、2、3、描かれている人物は、中国人や中東の軍人だ)
                (2、西欧でも切腹もあり得るという見方で捉えられる) 

18世紀:啓蒙主義の勃興とそれに伴う発展によって、西洋人が自分の文化を絶対的なものとして扱い、日本と距離をおく・・・・・疎遠感。
      ケンペル
(1651-1716)日本誌(1727年刊)  '08.11.12.アジアとヨーロッパの肖像展で実物を見る 
  関連記事:散歩道<231>備考1.おつうさま・ケンペル、
      京都の地図(京都の現在に近い描かれ方である)

19世紀:鎖国していた日本は経済的・文化的に後進国と見なされる。                               ・・・・・優越感。
      シーボルト
(1796-1866)「日本」(1832年刊) 日本の文化・物を博物学の対象に
      →京都全景
(全体が捉えられた絵である)
      開国後にジャポニズム勃興:日本の純朴さを賞賛
      
この直後の混乱で、この理想化されたイメージが激変する(記者が殺傷事件に巻き込まれ負傷する、その時から日本に対するイメージが一
        変して悪くなり、その後、日本の記事が報告されることはなくなった)


'08.10.30日文研准教授・フデレリック・クレインス
備考:フロアから、描かれている絵の人物は明らかに日本人を描いたとは思われない、又、切腹というような野蛮な絵が、西欧で長い間教科書で使われているという情報に、日本の学者として、何か手を打つ方法はないのかという指摘があった。