散歩道<2607>
                       経済危機の行方・市場主義の波家族・教育にも(2)                   (1)〜(3)続く

 崩れた「戦後日本型循環モデル」
 
 もともと日本の社会は、仕事と家庭と教育の間で緊密な循環が特異的な形で成り立っていた。これを私は「戦後日本型循環モデル」と呼んでいる。教育から仕事へ移行するに際し、新規学卒者の一活採用によって、大半の学生が時を置かずに正社員になる。正社員になると、年功賃金によって家族の形成と維持が可能になる。家族は収入や意欲を子供の教育に注ぎ、次世代をこの循環に乗せるよう投資してきた。
 つまり「仕事→家族→教育→仕事・・・」という形で、三つの社会領域からのアウトプットが次の領域に太い矢印で注ぎ込まれ、社会を成立させてきた。
 この循環モデルには、内在する矛盾があった。それは70年代後半以降に明らかになり始め、それぞれの領域内部が空洞化していった。家族ではお互いの愛情が成立しないような虚無や不信、憎悪がはびこりだした。それは、循環モデルにおいて家族から教育に向かう矢印が、本来の循環の動きから変質して、家族を乗っ取り始めたことでもあった。教育の世界でも、「いい会社」に就職するための受験競争や学歴競争に、学校現場が乗っ取られる事態が生じた。仕事の世界では、家族の生活費を稼ぐためには働いていたはずの人間が「会社人間」に変容する。会社のために献身して働き、逆に家族をないがしらにしたり、疎まれたりする逆転現象さえ生まれた。
 この矛盾は、三つの領域の相互依存が強くなりすぎたことが原因だろう。仕事や家族、教育は、それぞれ自立性と固有の価値や理念を持つべきだった。教育では、いい会社に入ることでなく、学ぶことの意味や楽しさなどそれ自体の価値を追求すべきだし、仕事でも働く意味や形成したいキャリアとは何かを考えるべきだった。
 循環構造は90年代に崩れ始めた。仕事の世界では、企業が正社員の数を絞り、企業の安定の恩恵を受ける労働者層はどんどん少なくなった。形だけは正社員の身分であっても、ボーナスや定期昇給を欠く「周辺的正社員」の数が増大してきた。
 仕事の世界の変化は、社会全体の格差を増幅させる。仕事の面でこぼれ落ちる人が出始め、賃金格差が激しくなると、それが家族への収入格差へ、教育に投入できる資源の格差へ、学力や学歴に応じて仕事が得られる格差へとつながる。こうした格差は次世代に連鎖する。
 窮状は、グローバル化による競争でますます激化している。たとえば、企業はコスト削減と付加価値を極限まで追い求め、非正社員への依存を強めざるを得ない。製造業も生産サイクルが短くなり、例えば3ヶ月ごとに働き手を雇ったり切ったりする。企業には社会を安定的に支える体力がなくなった。
 

'08.10.27.朝日新聞東大大学院准教授・本田 由紀さん


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