散歩道<2427>
経済気象台(342)・怒りの倫理
百家争鳴は大変結構なことだ。だが、最近の論争を聞いていると、論点のすれ違いが多く、かみ合っていないケースが目立つ。
象*1という動物を理解しようという時に、1人は尾に触って「縄のような物だ」と言い、1人は鼻に触って「筒のような物」と述べ、1人は胴に触って「板のようなものだ」と主張している・・・・。そんな様子にも似ている。
それぞれの言葉にはウソはないのだが、いずれも象の本質から逸脱していることは間違いない。論争というのは常に、その主体を明確にして行わないといけないのだ。
最近の老人医療費の問題で言えば「老人の医療費が大きな負担になっていく」事実は誰も否定しない。その中で、老人*3も応分の負担をするべきだとは皆、感じ取っている。
しかし問題はその前にやるべき事があるのではないか、ということである。
政府の無駄使いや、特殊法人など官僚の天下り先への12兆円に上る国の支出。これらを整理し、納得のいく説明をしたうえで、国民に頼みごとをすべきなのである。自分たちのことは棚に揚げる本末転倒ぶりに、国民は怒っているのだ。
厚生行政を見ても、社会保険庁の問題などはいまだに解決しておらず、そんな状況で医療の将来像を描いてみても、誰も納得できない。
さらには、あのバブル*2経済を混乱させた張本人たちが、本来負うべき責めを問われないまま、テレビなどで説教をしている。そんな姿にも、よき老後を夢見て働いてきた人たちの怒りが爆発している。
論争の主体を取り違えていては、国の根幹を揺るがす事態の解決には決してつながらない。
'08.6.14.朝日新聞
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